水郷茨戸のような美しい所は世界中にも一寸見当たらない。こんな所が何故あんまり利用されなかったか不思議である。こんな所がドイツにあったらどうだろうか。
<大将>堀内寿郎
北海道漕艇協会会長 
堀内寿郎(故人)
第1回茨戸レガッタ
第30回朝日茨戸レガッタ開催時のプログラムです。

28ページから「写真集タイムカプセル1959〜2002
の企画が載っています。
許可を得て一部を紹介いたします。

1954年(昭29年) 来日のケンブリッジ大を北大が破りました。「ケンブリッジ大を破った北大」の名は全世界のボート界に伝えられました。
同年 全日本選手権競漕で、堀内監督率いる北大クルーが見事に優勝して天下の耳目を集めたのもここ水郷茨戸です。

1959年(昭34年) オックスフォード大学を招待して開催された朝日招待レガッタは、両岸に約一万人の観客を集めました。


ベルリン郊外のワンゼーとそれに連なる湖水は、夏行ってみると舟で一ぱい、ヨットもモーターボートもシェルもあるが、大部分はゴムの外皮に木製の骨格を入れた組み立てボートである。と云っても、よく日本でみかける浮き袋のおばけのような不細工のものでなく、出来上がりはスマートな舟だ。

大人が3人乗れるし、子供なら5,6人乗れる。帆も3枚も張れる。1933年まで私はドイツにいたが、その帆つきの組立てボートを買って帰って、盛んに茨戸で乗りまわしたものだ。ワンゼーばかりでなく、方々の河川の上流にこれを運んで舟を組立て、流れに沿って川下りをする。顔なんか一日で真赤にやける。私もそれでヴェーゼル下りをした。
組み立て、解体に要する時間はそれぞれ20
分位、私のようなものぐさにもちっとも面倒で
ない。こんなことでベルリン人口が、夏の休日には3分の1になってしまうとか聞いた。

数百年前までは穴居していたとかいう北欧民族は、こうやって夏に鍛えることを至上命令のようにしている。


中学生の時英語の教科書で読んだ「毎日2時間戸外にあることは人間の神聖な義務である」という言葉が成程と思えてきた。
これと夏になっても冬の生活の延長みたいに外気にもふれない、日光を浴びようとしない北海道の人々の生活との対照が私には驚きだが、それだけに抗生物質の発見される前、札幌が日本一の結核都市だったというのは不思議ではない。もっとはっきりとした対照がある。

ハルビンの松花江にヨットクラブというのがある。そこでロシア系の住民は盛んにヨットやボートを乗りまわしているが、日本人はそこへ行って酒を呑んで帰ってくるという。それで冬ごもりをするので、結核は殆ど日本人の専売だったという。
水郷茨戸、これに延々と連なる美しい人造湖を舟でうずめようではないか。
 1973年(昭48年)6月10日
戻る